成年後見をする上で大事にしていること
私にとって成年後見業務は、人として・行政書士としてライフワークとしていきたい活動であり業務です。
成年後見の基本理念は
- 自己決定の尊重
- 現有能力の活用
- ノーマライゼーション(誰もが同等に生活できる社会や環境を作っていくこと)
です。
よく成年後見は「財産管理する人」として認識されていることが多いのですが、私が成年後見で一番気を配るのは、この基本理念を軸にした「身上保護」の部分になります。
身上保護とは
私の解釈では、後見を受ける方が望む生活を送れるように尽くすことです。
具体的には
- 本人の生活に必要なサービスの契約を結ぶ
- 必要な医療や介護を受けるためにサポートする
- 詐欺に遭うなどだまされたりしないように気を配る
- 何が本人にとって大切で必要なのかを一緒に考える
など、本人の判断能力がしっかりしていれば通常行うであろう、自分の生活の質をよくするための行動を、代わりに、または一緒に行います。
私には直接介護をしたり介助をしたりすることは難しいですが、ハード面を整えて暮らしをよりよくするお手伝いができます。
本人とたくさんお話をして、少しでも望んだかたちで生活できるようにサポートすることができます。
その結果、認知症を患っていても少しでも穏やかに不安を持たずに過ごしていただけたら、という思いです。
成年後見をライフワークにする理由
私には大好きな祖母がいました。
優しい笑顔で私を丸ごと受け止めてくれた祖母です。
その祖母の認知症状がでてきたのが75歳のころですが、私の母を含め3人の子供たちはそれぞれの生活で忙しく、サポートする余裕がなかったようで、何もケアしないまま認知症状は進行していきました。
私は祖母の認知症については知らされることもなく、子育てに忙しくしていました。
そして82歳の時、祖父が亡くなりました。
祖母は一緒に居間にいたのに、祖父が横になったまま亡くなっていることに気づかずに、食事を作って出していたそうです。
亡くなった報せを受けて祖父母宅に駆け付けたとき、「あんた誰だい?」と言われました。
ひどくショックを受けました。
祖父が亡くなったこともですが、それをわからずご飯を出していた祖母のことも、私のことをわからなくなっていたことも。
それからはひとりで生活させられないということで、病院をはじめグループホームやショートステイ、デイサービスなどできる限りの施設にお世話になりましたが、ずっと「家に帰りたい、じいちゃんが待ってる」という気持ちがあり、窓から脱走しようとしたり、止める職員に物を投げたりしてずいぶん困らせたそうです。
最後には家に帰ろうとする元気もなくなり、特養に入所しました。
入所したその夏、私は祖母に会いに行きました。
やっぱり「あんた誰だい?」と言われましたが、ずーっと手を握って横になっている祖母を見つめていました。
1時間ほどそうして過ごして、「ばあちゃん、また来るね」と帰ろうとした時です。
「裕絵ちゃんかい?」
思い出してくれたのです。
うれしくてうれしくてうれしくて、子どもの時のように抱きついて泣きました。
今でも、大好きな祖母の20年あまりの生活が、もっと良いものにできたのではないか、という思いが消えません。
もっと早く認知症状が出たときにお医者さんにかかってたら…
誰かが一緒に住んでいて見てあげられたら…
大好きな祖父といた家で長く過ごせさせてあげられたら…
その気持ちが、成年後見人として、たとえ認知症になったとしても、ひとりひとりの暮らしが少しでもその人の望んだかたちになるようにお手伝いしたい、という思いに繋がっています。
成年後見人として活動していると、正直とても理不尽な目に遭うこともあります。
本人が望んでいたことをサポートして親族から責められたり、法的に権限がないことを押し付けられそうになったりします。
そういう場面に出くわすと心が折れそうな時もありますが、なぜ後見人をするのか、という初心を思い出して前を向くことにしています。
本人が望むことなのか、本人のためになっているのか、他のよりよい選択肢はないのか、ということを常に寄り添い自問自答しながら、これからも後見活動をしていきたいと思っています。