ふたりの父から学んだ正反対の終活
終活の大切さに気づかせてくれた父が亡くなったのは13年前になるのですが、去年は義理の父が亡くなり、その際もまた終活の奥深さについて勉強させてもらいました。
物も人生も全て完璧に整理して逝こうとした義父
義父は2021年の6月に肝臓がんがかなり進んだ状態で見つかり、抗がん剤で苦しむくらいならできる限り自由に、やりたいことをやりつくして人生を終えたいと固い決意があり、家族もそれを尊重して、義父のしたいようにしてもらいました。
食べたいものを食べ、体力や体調を考慮しつつ行きたいところへ行き、会いたい人に会い、その中で義父なりの終活をてきぱきとこなしていったのです。
がんが見つかってからすぐに、自分の財産のありか、誰に何を遺したいか、葬儀の希望、自分の生い立ち、自分が死んだら連絡して欲しい親友2人のことを便箋7枚にきっちりとまとめて私に預けました。
それから遺言書を書き、8月には故郷の静岡に出掛けていき、親友に会い、実家のお墓参りや思い出の場所巡りなどを済ませ、帰ってきた後は自分の持ち物を整理していったのです。
服や靴など身に着けるものも最低限のものだけになり、趣味だった釣り道具も人に譲り、とにかく身の回りのもう使わないであろうものを黙々と、確実に処分していきました。
そして2022年5月、69歳で亡くなりました。
病院で書いた、家族ひとりひとり宛の手紙まで遺して…
葬儀社もプランも決めてあり、お骨の行先も指定してありました。
財産も遺言がありなんの問題もなく相続手続きも終わりました。
家族への手紙も本当にとても嬉しいものでした。
本人にとっては完璧な終活、その実は…
亡くした悲しみを乗り越えるために、故人の遺したものを整理しながら、気持ちも落ち着かせていくところを、義父の場合は整理するものが本当に何もありませんでした。写真までほとんど処分してしまっていたのです。
そのため、遺された母は義父を忍ぶものがホスピスで使っていたもの以外ほとんどなく、ひどい虚無感におそわれました。
また、こんなこともありました。
義父はかたくなに「死んだら無になりたい」と散骨を希望しており、墓なんかいらない!と頑としてきかなかったのですが、ホスピスに入ってから母が涙ながらに「私がひとりぼっちになっちゃうでしょ」と訴えたところ、「俺が自分の事しか考えてなくて悪かった…」と、樹木葬のお墓に家族と入ることを承諾してくれたのです。
また、家族葬を希望しお別れ会も行わない、お悔み欄にも載せないという遺志だったため、勤めていた会社の関係者や知り合いなどがしばらく自宅に訪れ、なぜ知らせてくれなかったんだと家族が責められるということもありました。
多分父は100%完璧な終活をして自分の遺志はすべて叶えられたと満足だったと思います。
けれど、遺された家族にとってはどうだったでしょうか。
私は義父が亡くなるまでは、終活は自分のためにするもの、その結果遺された家族のつらさも緩和される、と思っていました。
しかし、やりすぎると逆に家族から大切なものを奪ってしまうということもあることを学んだのです。
終活をしないで突然亡くなってしまった父と、完璧な終活をして逝った義父。
どちらからも大切なことを勉強させてもらいました。